書き直し5回も、『Tarzan』のギャラに歓喜した。

2002年は『月刊陸上競技』だけでなく、『Tarzan』でも執筆するようになった。マガジンハウスの棚橋芳夫さんが、当時『Tarzan』編集部にいたTさんを紹介してくれたのがキッカケだ。

Tさんに、『月刊陸上競技』で執筆したページを見せると、すぐに仕事を振ってくれた。「新刊のレビュー」で、6分の1ページぐらいの小さなコーナーだったけど、署名記事で毎号の〝レギュラー〟だった。

原稿用紙1枚弱でギャラは4,000円。好きな本を経費で購入できるし、毎回1度は書き直しを命じてくれた。僕はTさんに、「文章を書く」ということを、イチから教わったと思っている。

Tさんは他の編集者も紹介してくれた。そして、Nさんからは、「大会ガイド」のコーナーをいただいた。5分の1ページくらいで、ギャラは8,000円だった。「新刊のレビュー」を数か月担当したら、有り難いことに原稿料を1万円に上げてくれた。『Tarzan』は月2回の発売なので、毎月36,000円の収入になった。

しばらくすると、ちょくちょく「特集記事」も任されるようになったのだが、初めての特集記事はよくおぼえている。

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当時キャップだった大田原透さん(現・編集長)と大阪まで1泊2日で取材に行き、4ページの記事を書いた。そして、4~5回の書き直しをくらったのだ。僕の筆力がなかったのは間違いないが、大田原さんもよく付き合ってくれたものだと思う。

苦労してできたページは署名記事で掲載され、その原稿料に驚かされた。当時の『Tarzan』は1ページの原稿料が手取りで3万を超えており、4ページ分+出張費で15万ほどのギャラだったのだ。「これだけもらえるならライターで食っていけるぞ!」と僕は歓喜した。

ライターとしての能力はあまりにも未熟だったが、「元箱根駅伝ランナーが新聞配達のアルバイトをしながらスポーツライターを目指している」という行為に感動してくれた編集者のMさんが、「これから酒井君をできるだけ使っていこう」と他の編集者にも声をかけてくれた。

こうして僕は『Tarzan』での仕事が増えていき、ついに新聞配達のアルバイトをやめる決心が固まった。2002年の夏のことだった。

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