ライター1年目の収入は24,000円だった。

2000年春、「ライター」になった僕は、まっさらな名刺を持って、駒場スタジアムへ向かった。

ライターとしての初仕事は、J2に降格した浦和レッズを追いかけるムック本。ホームゲームと近隣で行われた試合を取材して、そのレポートを1000wでまとめることになった。

メインライターの方がいたものの、僕はもうひとりの新人ライターと交代で、いちおう記事を書いた。いま振り返ると信じられないが、原稿は「手書き」だった。なにしろ担当編集者は超がつくベテランの棚橋芳夫さん。原稿をFAXするかたちでOKだったのだ。

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原稿は3試合分書いたところで、以降はメインライターの方がひとりで執筆することになった。それでも、1年間で浦和レッズの試合を記者席から15ゲームほど観戦した。

J1昇格がかかった最終戦は僕の番ではなかった。しかし、サポーターの方からチケットを譲ってもらい、観客席からゲームを観戦した。1年間、レッズを追いかけてきたこともあり、土橋正樹のミドルシュートがゴールネットを揺らしたときは、本当に感動した。

延長戦でのVゴール。浦和は10人での戦いとなった最終戦で鳥栖を下して、1年での「1部昇格」を決めたのだった。

当時の浦和は、福田正博、岡野雅行、小野伸二、永井雄一郎、ペトロビッチなどが在籍していた。試合後には監督の会見はあったものの、選手に話を聞くには、ミックスゾーンを通過するときにつかまえるしかない。

新米ライターは怖くて、選手にはサッパリ声をかけることはできなかった。

そんな状態で、手書き原稿を3本書いただけ。それでも、ちょっと満足していた自分がいた。「スポーツライター」という仕事と興奮を経験することができたからだ。

完成したムック本『浦和レッズ J2の軌跡』には、自分が書いたゲームレポートが〝1試合分〟掲載され、巻末には、Writerのところに「酒井 政人」のクレジットも入れていただいた。棚橋さんのお情けだったように思う。

夢のスポーツライターに少しは前進したものの、ライター1年目の収入はわずか24,000円(ゲームレポート8,000円×3本)。「職業」としてライターを続けるには、次の戦略を考えるしかなかった。

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