ライター講座に通ってもライターにはなれない。

東小金井にある弟の家に転がり込んだ僕は、すぐにアルバイトを始めた。三鷹にあったファミレスの仕事だ。

そして、4月から日本ジャーナリストセンターの夜間講座がスタートした。「編集者養成講座」が月曜日と木曜日、「フリーライター養成講座」が火曜日と金曜日(だったような気がする)。とにかく週に4回、高田馬場にあるジャーナリスト専門学校に通った。時間は19時から2時間かな。

後に〝フリーライター〟は〝フリーター〟みたいなものだと思い知らされるわけだが、当時は「フリーターですか?」と聞かれるのが嫌だった。「夜間講座に通っています!」と、あくまでも〝学生〟なんだと主張した。

大学まで電車通学をしたことがなかったので、東小金井から高田馬場まで「定期券」で通学するのは新鮮だった。しかし、学校から駅へ向かう学生たちの波を逆進すると、不安感に襲われた。なにやってんだろう、と。夜間講座に通っているものの、スポーツライターになれる気がまったくしなかったからだ。

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両講座の生徒は、それぞれ20名ほど。20代が中心でなかには、今でいうアラフォーもいた。講師は大ベテランの編集者、フリーライターだった。両講座ともひととおりのスキルを教わり、実際に「作品」をつくった。編集者養成講座では、スポーツライター志望のOさんとHさんの3人で、所沢ブロンコス(現・さいたまブロンコス)を取材。当時、まだ珍しかったクラブチームの現状について執筆したのを覚えている。ちなみに入稿は原稿用紙に手書きしたものだった(笑)。

半年間の講座を終えたものの、スポーツライターへの道は少しも〝前進〟したとは思えなかった。ただ作品を作っただけで、どうしたらライターとして活躍できるのか!? 講師の大先生方は教えてくれなかったからだ。

OさんとHさんと僕の3人は同じ志を持っていたので、「今後」について一緒に考えた。すると、マガジンハウスにあった雑誌『ダカーポ』がスポーツライター講座をジャーナリストセンターで行っていることを知り、僕とOさんはすぐに申し込んだ。編集者養成講座は9月に終了したが、10月から週1回、全10回ほどのスポーツライター講座に通うことになった。料金は4~5万円ほどだったと思う。

『ダカーポ』でスポーツコーナーを担当していたライターさんがメイン講師で、杉山茂樹さん、山崎浩子さんら『Number』で執筆していたスポーツライター、週刊誌やスポーツ紙で活躍する編集者・記者などがゲストに来て、授業は凄くおもしろかった。文章の書き方などを含めて、スポーツライターに必要なことを教わった。でも、講座を受講したからといって、スポーツライターになれるかといったら、「NO」だ。30人ほどの受講生がいたが、いまもスポーツライターとして活動しているのはおそらく僕とOさんだけ。他の人は、スポーツライター体験をしただけで、「稼ぐ」までには至らなかった。

スポーツライター講座を受講しなかったHさんは、こんなことを言っていた。「決断を先伸ばしにするだけじゃない?」と。結局、学校や講座で学ぶことは、知識であって、スポーツライターへの「パスポート」ではない。ライターは就職試験を突破すればなれるものではなく、自分で「仕事」を探さないといけない。それが一番難しいのに、講座の先生たちは、ほとんどヒントをくれなかった。そのため、ほとんどの受講生が、講座終了後に夢をあきらめることになる。

スポーツライター講座が終了した12月。僕はどうしていいかわからなかった。だが、1本の〝蜘蛛の糸〟が僕の前に投げ込まれることになる。

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