スポーツ報道に求められる〝フェアプレイ〟 なぜ「高校野球」だけが大きく取り上げられるのか?

日本人はなぜ高校野球が好きなのだろうか。特に「夏の甲子園」は〝特別な存在〟になっている。球児たちのひたむきな姿は美しく、チアリーダーや応援団のいるスタジアムは華やかだ。そして、メディアの露出も大きい。

全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)を主催する朝日新聞はもちろん、大手新聞社、スポーツ紙は都道府県予選から多くの紙面を割いている。需要があるからこそ、多くのメディアが高校野球を追いかけていることは理解しているが、その〝中身〟は「スポーツ報道」の観点で考えると、非常に低レベルだ。

かつての高校野球は地域にとって本当に特別な存在だった。娯楽が少なかったこともあり、甲子園の人気は絶大で、その舞台で活躍すれば地元の英雄になった。しかし、時代は移り変わっている。

球児たちの越境入学は当たり前で、甲子園出場校のなかには地元出身者がほとんどいないチームも珍しくない。一方、サッカーのJリーグは3部まであり、バスケのBリーグも設立。野球の独立リーグも各地で立ち上がった。現在は、高校野球以外にも地元が誇るべきスポーツチームがある時代なのだ。

それなのに日本スポーツ界において、高校野球だけが特別な地位に君臨し続けている。筆者が最も問題視したいのはメディアの存在だ。高校野球を専門的に取り上げている媒体は、その役割を十分に果たしていると思う。しかし、テレビ、新聞など大手メディアは高校野球に対して「過剰報道」ではないだろうか。

 

大手メディアに問われる「公共性」

スポーツのレベルとして高くない高校野球の都道府県予選を熱心に報道する必要があるのか? 筆者は「ない」と感じている。なぜなら大手メディアが伝えるニュースや記事には「公共性」が必要だからだ。高校スポーツという枠で考えても、「野球」だけを特別扱いするわけにはいかないだろう。

世の中に対して必要な情報かどうかは、その分野に携わる人間の数がひとつの指標になると思う。高体連(男子)の加盟・登録状況(平成28年度)を見ると、サッカーが最も多く169855人(女子11018人)。その次はバスケットボール(95681人/女子61175人)で、以下、陸上競技(70276人/女子39613人)、テニス(68752人/女子38588人)、バドミントン(57830人/女子56369人)、ソフトテニス(48669人/女子36602人)、バレーボール(45211人/女子60941人)と続いている。一方、男子硬式野球部は高野連の部員数統計(平成28年度)によると167635人だ。

夏休みに盛り上がっているのは甲子園だけではない。高体連に属する競技はインターハイ(全国高校総体)が行われ、「高校一」を目指して、熱い戦いが繰り広げられる。人気面と競技人口を考えれば、サッカーのインターハイ報道も甲子園と同じくらいでもいいはずだが、大手メディアの扱いは非常に小さい。

日本の公共放送を担うNHKでは甲子園の1回戦からすべてを生中継している。対して、サッカーのインターハイはどうか。なんと放映は決勝戦だけで、しかもBSだ。

オリンピック種目もそうだが、世界のスポーツ界は「男女平等化」が進んでいる。女子の硬式野球部が少ないとはいえ、男子の硬式野球部だけを優遇することは、世の中の流れにも反しているといえるだろう。

そして高校スポーツは「教育の一環」で行われている。決して、ファンのためのものではない。教育的観点から考えると、甲子園の報道は異常で、それを指摘するメディアもほとんどない。

スポーツの世界で大切なマインドとなるフェアプレイは「公正な勝負」を意味する。スポーツを報道する側にも必要な資質ではないだろうか。大手メディアは甲子園だけを特別扱いするのではなく、もっとグローバルな視点で多くの競技を報道していただきたいと思う。

そもそも高校野球の魅力は何だろうか。プレイの質、エンターテイメント性はプロ野球の方がはるかに高い。その反面、高校野球は一発勝負のトーナメント戦。負けたら終わりの儚さがあり、「高校生らしさ」が大人たちの琴線に触れるのだ。メディアが選手たちの物語を報道することで、その人気は高まっていった。おそらく、そこで得られる〝感動〟は野球でなくてもいいのだ。

筆者は毎年、陸上競技のインターハイを取材しており、高校生たちの熱きドラマを肌で感じている。今年も6月に関東大会を取材した。陸上競技の地区大会は都道府県大会で各種目6位以内に入った選手しか出られない。高校野球の都道府県予選でいえば、ベスト8以上の価値がある。そこに大手新聞社、同スポーツ紙の記者はほとんどいなかった。彼らの取材力と筆力があれば、野球以外のスポーツでも感動物語をいくらでも伝えることができるだろう。

がんばっているのは球児だけではない。スポーツの価値を考えて、全国大会で結果を残すようなアスリートをもっと評価してほしいと思う。それがメディアの役割ではないだろうか。

箱根駅伝ランナーを甘やかす〝メディアの悪〟

筆者が専門的に追いかけている陸上競技の世界でも〝甲子園問題〟に近い状況のものがある。それは「箱根駅伝」だ。箱根駅伝自体は、人気も高く、多くの視聴者を引きつけるものであると感じている。その報道が過熱するのは理解できるが、近年はあまりにもひどい。箱根駅伝ランナーが過剰な取材攻勢にあっているからだ。

陸上競技の大会を取材する場合、ENG(映像)とペン(紙媒体)のエリアが分かれており、先にENGが行い、次にペンという流れが多い。今年5月に行われたゴールデングランプリ川崎でもちょっとおかしなことが起きていた。3000mで3位(日本人トップ)になった松枝博輝(富士通)はすぐさまミックスゾーンに来たが、同4位の關颯人(東海大)と同8位の鬼塚翔太(東海大)にはENG取材が入ったのだ。なぜなのか? それは關と鬼塚が現役の学生ランナーで、箱根駅伝の活躍が期待される選手だからだ。日本テレビ系列のENGクルーが今後の素材として撮影したのだろう。松枝も元箱根駅伝ランナーだが、大学を卒業したために、日本人トップの快走をしても、どのテレビ局にも相手にされなかったのだ。

スポーツの価値から考えると、一番活躍した選手の話が必要になるはずだが、媒体によっては少し違う。こういうシーンは結構あり、インカレなどでも長距離選手は入賞すらしていない選手でも記者が群がることもある。なかには過剰取材のせいで、「自分は凄いんだ」とカン違いするランナーもいるが、それはメディアのせいともいえるだろう。

野球はオリンピック種目に残れるか微妙なラインで、世界的に見るとメジャースポーツとはいいがたい。そんな競技のしかも高校生の部活動が、華々しく見えるのは、メディアが生んだ〝虚像〟といえるかもしれない。

日本のスポーツ育成システムを考えると、「高校スポーツ」は非常に重要なポジションになる。小中学生にとっては憧れの対象であり、世界を見据えて戦うアスリートの予備軍でもあるからだ。日本は2020年に東京オリンピックを控えている。国民が正しいスポーツ観を身に着けるには、グローバルスタンダードな視点が必要で、何よりもフェアな報道が望まれる。小さなヒーローを祭り上げるのではなく、本当に価値のあることをキッチリと報じる。それこそが、スポーツ文化を豊かにするために、メディアに託された〝ミッション〟ではないだろうか。