「 酒井政人の思い出 」 一覧

ライター活動を始めて7年目、年収が600万円台を突破。その理由とは!?

2002年の夏、新聞配達のアルバイトを卒業した僕は、ライターとして一本立ちしたつもりだった。アパートを借りると、仕事部屋と住居ゾーンをわけて、原稿に集中できる環境を整えた。しかし、仕事はさほどなかった

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終わりかよ!? フリーペーパー『R25』のライター事情

またひとつの時代が終わる。かつて首都圏で社会現象を巻き起こした『R25』が完全終了することになったからだ。 『R25』は2004年7月1日にリクルートが創刊したフリーペーパーで、30歳以上の方は

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新聞配達のアルバイトを卒業して、ライターとして自立した。

大学を卒業してスポーツライターを目指すにときに、自分のなかで決めていたことがふたつあった。ひとつは「ダメでも3年間は努力してみよう」ということ、もうひとつは「親には絶対に頼らない」ということだ。 酒

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書き直し5回も、『Tarzan』のギャラに歓喜した。

2002年は『月刊陸上競技』だけでなく、『Tarzan』でも執筆するようになった。マガジンハウスの棚橋芳夫さんが、当時『Tarzan』編集部にいたTさんを紹介してくれたのがキッカケだ。 Tさんに

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15年前、「陸上競技」専門誌の原稿料に愕然とした。

2001年2月から僕は『月刊陸上競技』でライターとして活動するようになった。といっても「契約書」をかわしたわけでもなく、原稿料がいくらなのかも知らず、なんとなくスタートした。原稿料の振り込みは発売日翌

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「陸上競技」専門誌につながるルートを探せ!

大学を卒業して2年目。浦和レッズを追いかけるという仕事で、幸運にもライター・デビューを果たした僕は、次なる一手を考えた。それは自分が続けてきた「陸上競技」を書くための〝作戦〟だった。 陸上競技の

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ライター1年目の収入は24,000円だった。

2000年春、「ライター」になった僕は、まっさらな名刺を持って、駒場スタジアムへ向かった。 ライターとしての初仕事は、J2に降格した浦和レッズを追いかけるムック本。ホームゲームと近隣で行われた試

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「ライター」と記した名刺をつくれば、誰でもライターになれるのだ。

スポーツライターになるには何をすべきなのか!? 6か月+3か月の夜間講座を終えた僕には、さっぱりわからなかった。 しかし、ライターとしての初仕事が意外なかたちで転がりこんでくる。「スポーツ

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ライター講座に通ってもライターにはなれない。

東小金井にある弟の家に転がり込んだ僕は、すぐにアルバイトを始めた。三鷹にあったファミレスの仕事だ。 そして、4月から日本ジャーナリストセンターの夜間講座がスタートした。「編集者養成講座」が月曜日

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暗闇のなかに「スポーツライター」という光りが差した。

故障で走れない日々を過ごしていた大学時代。自分の将来に失望した。大学2年時までは、実業団に進み、オリンピックを目指すんだという気持ちに溢れていたからだ。しかし、夢はプツンと途切れてしまう。自分が何をす

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