中央大駅伝部はなぜ「1年生主将」を選んだのか

87年連続出場中で、優勝回数は最多14回。箱根駅伝の超名門・中央大が揺れている。6月の全日本大学駅伝の予選会で過去最低の結果を残して、新たに「1年生主将」を任命したからだ。

振り返ると、中央大は第72回(1996年)箱根駅伝の優勝を最後に、緩やかに“下降線”をたどってきた。第65回大会(1989年)から第78回大会までは4位が最低成績で、その後も「連続シード」は死守してきた。しかし、第89回大会(2013年)では5区で途中棄権。28年連続シードが途切れると、前回大会まで15位、19位、15位と低迷した。

苦悩が続く中央大は〝名門復活〟の切り札として、今年の春、同校OBで世界選手権のマラソン日本代表に3度選ばれている藤原正和を駅伝監督に招集。新監督は1年生を主将に指名するなど、大胆な“人事権”を発動して話題を集めている。その真意はどこにあるのか。夏合宿を前に藤原を訪ねてきた。

名門・中央大が弱体化した理由

名門・中央大の成績が近年、急降下している一番の原因は、入学してくる選手の質が落ちていることだろう。3~4位でゴールしていた時代は、箱根常連校でいえば、中央大のブランド力は飛び抜けていた。しかし、大学のネームバリューや偏差値が同程度の青山学院大と明治大が箱根で活躍するようになり、選手の“流れ”が大きく変わった。以前なら中央大を真っ先に選んだ可能性のある有力選手たちが、散らばることになったからだ。

「以前は他の大学がそこまでスカウティングに力を入れていなかったこともあり、中央大に好選手が集まっていました。そのため、全国大会で入賞レベルの選手が勝手に来るだろうという甘い考えが、OBを含めてあったと思います。

でも、そんな時代ではもうありません。MARCHというくくりでいうと、私の学生時代は中央大と法政大しか箱根に出場していませんでした。それが、青山学院大と明治大が学生駅伝でトップを争うチームになり、反対に中央大は置いていかれました。周囲のスピード感に全然ついていけていないのが現状だと思います」

昨季までホンダ所属の現役選手だった藤原は、昨夏に行われた北京世界選手権の男子マラソンにも出場している。箱根から世界へ飛び出した藤原にとって、母校の実状には、大きな違和感があった。

「4月に入ってきたときの雰囲気は、同好会並みでした。締まりがなかったですね。『やっています』という内容のレベルが低いんです。これは大変だぞ、と感じましたけど、案の定大変でした……」

藤原の眼には、様々な面で「緩さ」が映ったという。22時までの門限を過ぎてもいい日が月に4回もあったため、それを月1回に変更。藤原の学生時代には認められていなかった原付バイクの使用も3・4年生はOKになっていたが、それも禁止した。

「私はホンダにいたので、乗り物の便利さとリスクはしっかり学んできたつもりです。競技を続けている間は、二輪車のリスクは低くありません。本当にちょっとずつなんですけど、チームはよくない方向に進んでしまったと思いますね。人間は楽な方に流れます。長い年月をかけて、結果が悪くても、徐々に許されてしまうような雰囲気になってしまった。それが、今の中央大の姿じゃないでしょうか」

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