「未完の大器」村山謙太、覚醒なるか 中村匠吾への対抗心で五輪の道切り開く

昨年9月15日のMGC。設楽悠太(Honda)が切り込んだレースを村山謙太は複雑な気持ちで見つめていた。

「もし自分が出場していたら、設楽さんについていったと思います。マラソンを単独で走り切るのは難しい。でも、ついていくのは自分でレースを作るよりも楽ですからね。そして、自分のタイミングを見計らってスパートすれば、後続の集団に追いつかれることなくレースを完結できたかもしれません」

村山がこんな思いを抱くのも無理はない。日本中が熱視線を注いだレースを制したのは、駒澤大時代のチームメイトである中村だったからだ。

「彼が苦しかったときを知っているので、五輪の夢がかなったことは友人としてうれしく思います。でも『中村が選ばれるのかよ』という気持ちはあります。常にライバル心を持ってやってきたので、正直、悔しさが8割くらいです」

中村が飛躍を遂げた2019年。村山は不運に泣いた。MGCの出場を目指して、当初は同年3月の東京マラソンを予定していたが、2月1日に自転車で道路を横断していたところ、後方から来た乗用車に巻き込まれて転倒。2日後の香川国際丸亀ハーフマラソンに出場するも、序盤に転倒して、レ―スは途中棄権した。

「最初の診断は打撲だったので丸亀ハーフに出場したんですけど、明らかに打撲の痛みではなかったんです。後に右膝内側の骨挫傷と診断されました」

交通事故の影響で東京マラソンの出場は断念。急ピッチで仕上げて、4月のハンブルクマラソンに強行出場するも、自己ワーストの2時間21分25秒(38位)に沈んだ。そのため、MGCはテレビ観戦することになった。

村山と中村は高校時代からのライバルで、ともに期待されて駒澤大に入学した。最初に注目を浴びたのは村山だ。日本インカレ5000メートルで当時・早稲田大に在籍していた大迫傑(現・ナイキ)らを抑えて1年生チャンピオンに輝くと、箱根駅伝は花の2区に抜てきされた。

3年時にはハーフマラソンで日本人学生最高の1時間0分50秒(当時・日本歴代3位)、4年時には1万メートルで27分49秒94(当時・日本人学生歴代5位)をマーク。村山の走りの魅力はハマったときの“爆走”にある。しかし、大学卒業後は持ち味の爆発力が影を潜めた。

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