竹澤健介が選ぶ〝ベストレース〟と悔しい気持ち

竹澤健介が今シーズン限りの「引退」を表明した。その〝真相〟はwebスポルティーバ』に寄稿した通りだが、文字数の関係で書けなかったことを、ここに記したいと思う。

今回の取材で強く感じたのは、彼が〝不完全燃焼〟でシューズを脱ぐことになったことだろう。その証拠というわけではないが、一番良かったレースを尋ねると、竹澤は、「自分のですよね?」と言って考え込んだ。

そこで、自分以外だと? と突っ込むと、「中島が優勝したときはうれしかったですね」と答えたのだ。中島とは早大時代の2学年後輩にあたる中島賢士のことで、第87回箱根駅伝(2011年)でアンカーを任された中島が総合優勝のゴールテープを切ったレースに〝格別な思い〟を味わったという。ワセダは東洋大に21秒差で競り勝ち、18年ぶりとなる箱根Vで、「学生駅伝3冠」を成し遂げている。

「よくわからないですけど、僕らができなかったことを達成したからではないでしょうか。中島が優勝ゴールに飛び込むのを見たときは、感慨深かったですね。中島に特別な思い入れもあったので、振り返ると一番うれしかったですし、うらやましかったです」

では、自身の〝ベストレース〟は何だったのだろうか。その答えもちょっと意外なものだった。

「一番気持ち良かったなと感じたのは、大学3年生の日本インカレ5000mです。ラスト勝負で、スパンと切り替えて、勝つことができましたから」

2007年6月10日に行われたレースは竹澤が松岡佑起(順大)、髙橋優太(城西大)らに競り勝ち、133602で優勝している。レースの大きさやタイムではなく、おそらく〝走りの内容〟がキャリアのなかで最も良かったのだと思う。

絶対的なスピードは1学年上の松岡や上野裕一郎の方が上だったが、竹澤はレース巧者の印象が強い。余裕を持ってレースを進めて、勝負どころでため込んだパワーを爆発させる。終盤のキレは抜群だった。

最後の箱根駅伝を終えた後、『月刊陸上競技』の企画で竹澤と佐藤悠基(東海大)の対談を筆者が担当した。竹澤は将来について「1万mはいけるところまで記録を縮めたい。マラソンについては、成功しようが、失敗しまいが、自分の欲望に任せてやってみたいです」と話している。

1万mは大学3年時の記録を超えることができず、マラソンはスタートラインに立つこともできなかった。

竹澤が日本選手権の1万m(2010年)を制した後、同種目で4連覇を遂げたのが佐藤悠基(日清食品グループ)だ。かつてのライバルは今度の東京マラソンでペースメーカーを務めるなど、マラソン成功への道を模索している。

 「僕もマラソンに挑戦したかった。うらやましい気持ちがないわけではありません。だからといって、カラダが戻ってくるわけではないので、最後は客観視していたかもしれないですね」と竹澤は悔しそうだった。

将来的には指導者になる夢を持つ竹澤。現役時代の栄光と挫折は指導者として大きな財産になるはずだ。日本陸上界のためにも、竹澤健介には〝新たなる才能〟を発揮してほしいと思う。